誤報の中のメディアと、その中にあるネット界について・・・

nobiさんのブログ記事の下にある記事にコメントを書こうと想ったら、長く書きすぎるほどに書いてしまったので、配慮して自分の記事の中で書くことにしました。記事になるように、体裁等を修正などを行った上で…
自分なりの思考などを書くと、あまりに思考の範囲が広がりすぎたのでいつもと反省気味ですが、ついつい書きに書いたところです。
考えなどについては、次のページにて見てください。
今回のは書きすぎという反省もありますが、自分なりの考えを書くとなると、やっぱりネットだからこそ書けるという、一つの感謝の念を持つことがありますね。
その感謝の念を持ちながら、次のページへどうぞw


nobilog2: マスコミもブログも、兜の緒を締める頃合い!?

nobiさん、私自身もよく誤解されがちな一人です。
私がある方向(明後日)でよく発言を行ない、時には精神論な面を含ませた発言をしていますが、他の方からの視点(今日)でいくと、とんでもない発言に見えてくるようです。
持病の偏頭痛によって、軽い言語障害や思考の妨げなどが起こっているので、ますます変な方角として見られるかもしれません。その点は反省気味でしょう。
過去には色々遣ってしまったので、この前に変更をしてからは、自制気味に押さえている所です。意味自体が、霧の中で走っている一匹のねずみというところからですし…(五里霧中かと)


nobilog2: マスコミもブログも、兜の緒を締める頃合い!?

匿名掲示

私はいろいろな場所で公言しているが、日本の匿名書き込みの文化が嫌いだ。

 この議論になると「そうはいっても、匿名掲示板にも有効な情報があがっていることがある」と反論する人がいるが、それは有害物質にも意外な効能とか、ヒットラーにも人間らしいやさしい側面、といったものと同じ議論。

 一番の問題になるのは、匿名で書き込んでいる人達が、自分のやっている行為を、自分の子供に、あるいはまだ自分が子供だったら(または子供がいなければ)自分の親や妻といった家族に、自信を持って誇れる行為かという部分であり、将来、自分の子供にも継承したいと思う文化/行為か、という部分だ。
 そう考えると、私にとっては匿名掲示板文化も、真っ先に滅びて欲しい日本の文化のひとつだ。

メディアや匿名掲示板などに関しては、自分の感性と信念を持った上で考えています。
その中にある本質やツールとしての感覚を優先にしたいと考えています。
情報収集をする過程で必要なツールでもあり、その中で得た情報は、自分なりに分析と解析を行う事が責任としてあると考えています。
自分のパイの大きさなどを認識をして、自己責任が可能な範囲などを持って行動を起こしていくことも大切であると想います。
今は時間が出来始めているので、ゆっくりと自分なりの考えや思考を各自まとめていく時期に差掛っているかもしれないと考えています。
それを持って、自分なりの行動を起こしていくことが大切になるでしょう。一つの切っ掛けとして…


nobilog2: マスコミもブログも、兜の緒を締める頃合い!?

数字を追い始めると本質を見失う


 話しが横道にそれた。匿名書き込み文化は(私的に)言語道断だとしても、
 日本のマスコミも、雑誌不況につづき、新聞もついに危ない、テレビも、となってきたことで、困ったことが起きている。
 皆、本質を見失って数字の競争に走ってしまっている。

新聞も雑誌もテレビも、先行きが不安で、数字ばかりを追うモードにだ。
誰かの失敗の揚げ足取りのゴシップが受ければ、テレビも新聞も雑誌も、そのニュースの繰り返しばかり。

新聞やテレビよりも関わりが深い雑誌でいうと、
とりあえず数字を出そうとして、手堅く過去に成功したことがある特集を繰り返す媒体が多い。

これが1度、2度なら効力があるが、何度も続くと、次第に読者も、表紙を見ただけで、「どうせ、こんなことが書いてあるんだろう」と想像がつくようになる。

そのうち、新しい情報ならWebの方が多いし、何かを短期集中で学ぶ上でも、やはりWebの方が便利だ(AllAbout型のまとめサイトをみれば、すぐに全方位的な情報が集まる)。

じゃあ、「雑誌」は終わりかと言えば、そんなことはないと思う。

最近のネット以外のメディアに関しては、ただの情報という扱いでしか見なくなりました。
nobiさんが斯かれている指摘どおりに、あまりにゴシップや後ろ向きさに少しずつ嫌気が出てしまい、仕舞いには同一性過ぎる今のメディア自体が面白み自体を失ったという流れで来ています。
自分の中でかろうじて信用性を置いているのが雑誌くらいです。
専門性とか、論議などの論調などが書かれている雑誌などですね。
本日、諸君が休刊になったニュースが流れました。(3月3日時点で書いているため。)
あれはあれで活発になっていたので、時間があれば立ち読みなので、気になったのを読んでいくということなどをしているのがよくありました。これらなどが消えていくことが残念でしょう。
雑誌だからこそ可能な事を想いっきり遣って欲しいと、私としては今願っています。
ネットなどで論議などをして、それらを編集をした雑誌など…
案外、そういう雑誌が現在の中では必要になっているものかもしれません。
ドイツなどでは、ウィキペディア百科事典の項目を自分(ユーザー)で選んで、発注が出来るという印刷事業を行っているようですから・・・
今まで見落としていた箇所が、もっとも大切な根幹につながっていく可能性のあるものだったりしますしね。

その事などを踏まえながら、上記の匿名掲示板に関しての記述で気になったので、一つの作品を紹介しておきたくなった所です。
それは、コードギアス 反逆のルル−シュです。2シーズン25話ずつ放送されていたものです。
結構、物語自体が裏の裏をかいたりしていますが、今の時勢などをよく描写されているものであり、物語自体が様々な提議を行っていると想います。無論、ツールや本質などに関してはよく描かれています。
物語に書かれている本質は、案外今回の出来事に似通っているかもしれません。
アニメ本編とそのアニメをライトノベル化した作品を、暇なときに読んでみたらいいと想います。
このアニメは、様々な意味合いでよく考えさせられましたから…
アニメとしての枠ではなくて、現在の現象や様々な視点を持っていったら、よくよく考えさせられるものです。

これらなどを書いて、自分としては匿名という流れの維持はやむ得ないと想います。
もし、この事自体が合意をせずに強制的に否定などをしたら、言論の自由という憲法違反になるということも含まれていると考えられます。
もちろん、その背後にある責任も自己の中で負う事が大切なことでしょう。
2chウィキペディア百科事典などに関しては、否定は簡単に出来るでしょう。
けれども否定をしても、対案を出さないと対策としての実効性がないというのが、身にしみて感じられています。(日本の与党と野党・メディアがそういう現状でしょうけれども・・・)
否定は簡単、されども対策と実行は難しけりかな・・・

匿名によって、ある程度の成功をしているところがあるでしょう。
そのところに関しては、否定は出来ない箇所であると想います。
この問題に関しては、長い時の流れを持って対処していくことが最も近道であると想います。
全体の視野が、中長期的な視野に立ってからが、初めてのスタートラインになると想われますので・・・
あれだけ混乱して荒れた物語である、コードギアス 反逆のルル−シュR2の最後は、そういう示唆・流れで締め括られていますから・・・
今は明日を信じて行動を起こしていこうというのが、大事なことですね。
その為には、誰もが学んでいくことが必要な行為であるともいます。

今まではステータス・ファッションであった自動車が、今ではただのツールという感覚に下がってしまったという現象が一つのヒントであると考えています。
この点は、現在のメディアの現象に似ているかなというのがあります。
最後にですが、言語学的な文法などがおかしくなったり、あっちこっちになってしまった事に関しては、申し訳なかったことであると申し上げて締め括りとします。
理由としては、現時点で思い浮かべられる言葉と共に思考の多角化によって、自分の中で消却(消化)・纏まり感をすること自体が難しいためです。
それでは、またね〜(´・ω・`)ノ


Syunrou


2009.3.4.1:50 追記・編集