時の流れ、それを受け止めるときにて・・・

時の面が複数あるのに、なぜ一つの面しか見られないのかが不可解であり、不思議なものであろう。
それらを日々考えさせられ続けていくのは苦行に近いものであり、意味深きものであろうと感じさせられる。
自分たちは複数の面を見ていくことが、今後の課題であると想う。
それをしていかないと、様々な意味合いでも操られていき、一つの行動パターンしか描けなくなってしまうという深き懸念から生み出されていく懸念が出て行くからだろう。
そのことから脱するには、やはり自分自身の努力次第であることには否めない面が出てくる。
今後自分も、それに向かって努力していこう。
複数の面・多角性を生み出しながら、明日への希望に繋げて行くためにも・・・
そこには真実性がない・・・別の視点で見ない限りは、本当の意味合いでの真実性が生み出されていけないという言葉を刻みながらも・・・
ひとつ動く前に複数の行動パターンを描けていけれるように努力を行い、その上での判断行使を行っていくことが、自分への・・・他への・・・様々なことを考えておきたいという、気持ちが出せれるということを想って行きたい。
今日は今日として、今は歩み続けていくことにしよう・・・
それが結果として現れていくことが、既に出ているからだ。


Syunrou